自分流イライラを軽減する方法

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最近、感情をどのように処理するか、について考えることがあったので、それをメモしていこうと思う。
あくまで個人の感想です。

すみません。あくまで、考えたことをまとめるので、
考えることになった経緯などから書いていきます。気になる人は、気になるところまで飛ばしてください。

そして注意事項として、
これは個人の意見であり、人によって考え方やとらえ方は違います。
効果がない可能性もあるので、それを了承したうえで読んでください。

 

考えるきっかけと考えたこと

超時事ネタなので、具体的には伏せます。

ある銃乱射事件がありました。場所は野外のコンサート会場で、まさにミュージシャンがコンサートをしているときでした。
その事件で多くの方が命を落としました。
その銃声のような音が聞こえたとき、ミュージシャンはすぐに舞台裏に逃げ、観客に対して注意喚起などはしませんでした。

事件が起こった次の日、一部の人たちから、
「なぜミュージシャンは観客に注意喚起をしなかったのか」
と責められました。

ええあの事件です。
この事件に関する記事を読んで、いろいろと考えが派生しました。

 

ここからは私の考えです。

そもそも、
この事件で悪いのは、銃を乱射した人であり、
ミュージシャンではありません。

当たり前だと思います。

ただ、最近私が読んだファンタジーの小説で、共感できる部分があるので紹介すると、
人間は、合理的に考え、行動することはできても、
結局は感情的な生き物だ、ということです。
つまり、この事件で家族を失った、恋人を失ったなどの人たち(つまりは遺族)からすれば
もし、ミュージシャンが注意喚起をしていれば、
私の好きな人は、家族は、まだ元気に生活できたのではないか?
という感情的な考えがうかんでしまうため、
ミュージシャンを責め立てるという流れが生まれたのだと思います。

もちろん、その非難が悪いことだ、とまでは言いません
だって、その考えが浮かぶのは仕方のないことだと思うからです

そこから私の考えは事件から、「感情」にそれていきました。

 

 

感情の処理は難しい

上述の事件でのミュージシャンへの非難から読み取ったのは、
感情を処理するのは難しいということです。
例えばの例がまさに上述の事件で、
悪いのは銃を撃った人だ、というのは明白です。
ですが、なぜか感情は、ミュージシャンが注意喚起をしなかったことが悪いと訴えてしまう。
こんな理不尽なものを処理するのは、ぱっと考えても難しいです。

最近、政治関係の動画をちょっと見たのですが、
時々、政治家や行政に対する質問の場で、
その質問の場で期待されている質問とは全く見当はずれの質問(もしくは提案や要望)をする方がいます。
その方たちを非難するわけではありませんが、
その質問を受けた人たちは困ること請け合いです。
質問をしている人たちは、
その場が、政治家や行政に対して直接質問ができる場である、ととらえており、
このことについて聞きたい、という強い感情がその質問をさせるのだと、私は考えます。
それがいいことなのか悪いことなのかはわかりません。
直接質問をできるいい機会なのは確かですが、求められている質問でないことも確かです。
ただ、すくなくとも言えることは、
その場において、質問に対する答えを出す側は困ること間違いなしだということです。
少なくとも私が回答者なら困ります。

そういう点において、政治家や行政に携わる人たちは、
これらの相手の感情を適切に処理する技術を身につけなきゃいけないなぁ、とか感じました。
もしかしたら芸能人も当てはまるかもしれません。

一般人でも、その技術が必要な職業はあると思います。

 

感情を処理する方法

他人の感情の前に、自分の感情を処理する方法を知っておかないと対処は難しいと思い、
どうやったら感情を処理することができるか考えてみました。

私がぱっと思いついて、実際に実行している方法は主に二つです。

  • 感情の原因となる物事のとらえ方を変える
  • 前提を持っておく。

一つずつ例を交えて説明します。

 

感情の原因となる物事のとらえ方を変える。

これをものすごく簡単に言うと、
「but」の考え方、です。

例を考えます。

チームで行う試合を考えます。(サッカーや野球等、ネットゲームでも)
「おい、お前がここでこう動けば、より試合を有利に運べた。何をやっているんだ」
とイライラすることがあったとします。
そこで「but」の考え方です。
「でも、その人からしたら、自分がこう動けば、試合を有利にできた、と考えているかもしれない」
ということを考えてみます。

ここから先は感情、気分の問題なので一概には言えません。
少なくとも私は、この方法でイライラが軽減されます。
今回の例で挙げたことが何をしているのかというと、

他人が悪いと思ったことを、
とらえ方を変えることで
自分が悪かったと置き換える

ということをしています。
こうすることで、自分を責め立てることに変わり、
申し訳なさや、仕方のないことだ、という感情が生まれやすくなる、と考えています

今回は「but」の後に自分が悪いと置き換えていますが、
ほかにも置き換えることができます。

私が使っているのは

  • 自分が悪いに置き換える
  • もし同じ立場だったらそうしていただろうなぁ、と考える

です。書きながら思いましたが、どちらも同じようなものですね。

 

 

前提を持っておく

これは正直ほとんど一つしかありません。

一般的に、
他人や各種団体、機関は
万能ではない、という前提を持つことです。

例を挙げます。

教科書に載っている計算問題を解いた。
末尾にある答えを見ても、自分の書いた答えと合わない。
何度計算しなおしても、末尾にある答えと同じ数値が出ない。
仕方なく先生に聞きに行くと、先生も自分の書いた答えと同じ答えを出して
「これは教科書が間違っている」といわれた。

超理不尽です。超イライラします。

 

ですが考えてみてください。
教科書が常に正しいとは限らないのです。
教科書を作っているのは人間です。
例えばあなたは、計算ミスを全くしない人ですか?
おそらくそんなことはありません。人生で一回くらい計算ミスをしています。これはほぼ断言できます。
(もし計算ミスを本当にしたことないなら、それはそれで自慢できると思います。胸を張って生きてください)
ですので、
教科書を作っている人間がごくまれに起こす計算ミスが、
教科書に記載されてしまった、ということです。

おい、人に教えるために作られた教科書なんだから、計算ミスとか絶対すんなよ!
と思うことでしょう、私も思わなくはないです。というかちょっと思います。
もちろん教科書を作っている会社は、ミスを載せない努力をするべきです。
ですが、会社は人間が集まってできているので、ミス0にはなりにくい。

人に教えるのが目的である教科書が、
間違った計算の答えを載せているためにイライラが生まれた。
しかし、教科書のその間違いを完全になくすのは難しい。
ではそのイライラはどう処理するのか。
前提をつけましょう

教科書は、人が作ったものだから、
ごくわずかだけど、間違えることがある。

これで、イライラをかなり抑えることができます。
もちろん、自分が計算ミスをしている可能性のほうが十分に高いです。
なので何度も計算する作業は必要です。
それを怠ってはいけません。

 

このように、万能ではない、という前提をつけることで、
少なくとも私は、イライラの原因自体を小さくすることができます。

 

注意すること

上述の二つの方法、少なくとも私は効果がありますが、
使いすぎると精神衛生上大変悪いです。
超簡単な例を挙げます。

私は今友達と、私の誕生日パーティをしていてすごく楽しい。
でも、もしかしたら友達はあまり楽しくないかもしれない。

だめです。危険です。精神が負の感情で汚染されてしまいます。
浄化が必要になります。

ですので、用法容量を守って正しくお使いください
これらの手段は、自分がいらいらしたことに対して使ってください。
イライラを軽減する一つの手段、ととらえてください。

 

 

まとめ

もう一度言いますが、
これは個人の意見、感想です。
人によって感じ方などは異なります。
なので、自分が良いと思った方法を試すのが一番です。

ですが、このメモで誰かの時間が救われるのであれば、私は嬉しい。

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